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2019.09.07

関Pの仙台イベントレポート(2)

ここで声優さんにも入っていただいて、それぞれ「ユウレイに会いたい!」と「春風家にピアノがやってくる!」に絡めて「ユウレイ」と「習い事」のお話をしてもらいました。

千葉:ユウレイ話は色々あるんですけど、関さんも苦手なんですよね。
関P:実はダメなんです。
千葉:苦手な皆さんでも大丈夫な話が一つありました。当時アフレコを(新宿区大久保にあった)タバックというスタジオでやっていたんですけど……。
大和屋:(ユウレイが)出るって有名でしたよね。
千葉:そう、有名でした!そこでアフレコしていたんですけど、よく機材トラブルで機械が止まるんです。その度にみんなが「千葉ちゃ~ん!」って突っ込んで、私も「ごめんごめん、私の邪気が」ってやりとりをしてました(笑)。

松岡由貴さん(以下:松岡):でもそれで丸っと(トラブルが)収まるんですよね。
関P:あのスタジオは昭和40年台に建てられた古いスタジオで、機材も古かったんですよね。有名な話として、あのスタジオの屋上で俳優の石原裕次郎さんが『西部警察』(イベントにいらした皆様、これは関の記憶違いで、正確には『太陽に吠えろ!』の七曲(ななまがり)署の屋上として使われていました)の撮影をしたっていう逸話があるくらいなんですよ。
松岡:えーっ!早く教えてくれてれば、屋上見に行ったのにー!(笑)

秋谷智子さん(以下:秋谷):私は霊感とかないから、あまりないんですけど、横断歩道を渡っているときにすれ違った人が「私のこと見えてるの?」って言われた話とか……あれ、これ怖い?
大和屋:マジョリカマジョリカ!

一同笑い

関P:では、怖くない話にしましょうか?
松岡:習い事の話をします!私の特技に日本舞踊があるんですが、幼稚園のときは将来、バレリーナになりたい!と思っていたんです。そのとき、「プリマになるには最低でも5歳からバレエをやっていないといけないの。由貴はもう5歳だから、もう時間がないの!」って母親に言ったら、連れて行ってもらったのが日舞の教室で……

一同笑い

松岡:近所にはバレエの教室はなくて、日舞の教室はいっぱいあったんです。それに母親は芸姑さんをやっていたので、教室に知り合いがたくさんいたから楽だったんだと思うんです。私は傘持って踊りながら「こんなんちゃうっ!」って。結局そこは一旦やめたんですけど、小学三年生くらいの頃に、既にプリマになるには遅いと思っていたのもあってまた少し日舞をやって、本格的に始めたのは高校くらいで少し踊れるようになったんですが、子供の頃は本当はバレリーナになりたかったんです!(笑)
関P:(笑)ありがとうございました。それでは宍戸さんは?

宍戸留美さん(以下:宍戸):習い事というか、一人遊びが得意な子だったので、家にあった赤いラジカセに向かって歌を歌ったり、当時あったアイドル雑誌の「明星」・「平凡」の付録を最初から最後まで歌ってみたりしていました。ときには友達を呼んでラジオ収録みたいなこともやったり……この間9歳の頃のテープが見つかったんですけど、「地獄に落ちてしまえ~~!」って一人でやっていて

一同笑い

宍戸:でもそういうことが今の仕事にもつながっていると思うと、本当に幸せです。

石毛佐和さん(以下:石毛):私も習い事の話です。唯一続いていたのが水彩画でして、3歳くらいから始めていたんです。聞いたところによると小学三年生の教科書に私の絵がまだ載っているという話を聞きました。

一同、歓声

石毛:当時習っていた先生が、教科書に載せる絵を選定される方だったみたいで、私が描いたカボチャの絵を選んでくださったみたいです。先生になった友達が今でも載っているよって教えてくれました。
大和屋:自慢できますね。

関P:大和屋さんは怖い話なんかは経験されています?
大和屋:霊感はないですね。だからユウレイの話をやれるんです。
関P:確かにそうですね。霊感がある人は逆に書けないですよね。
千葉:「見える」人が描く漫画なんかは別のリアルな怖さがありますよね。前に読んだ漫画は「この人、見えてる」って思うような描写で、すごく怖かったです。

山田:私も一つ。つのだじろう先生原作の「学園七不思議」の脚本を作っている中で、ある日不思議なことが3つ起きまして。夜中にガスストーブだったかな?これがバチンと消えてしまって、次にワープロの印字の中で「影」という文字だけ出なくなったんです。最後の事件は原稿アップ後に外で打ち合わせをする予定だったんですが、少し遅れてしまったんです。そうしたら担当の方が心配して電話をかけてくれたそうなんですが、何度かけても出なかったそうで……まあ私が受話器をずらして置いていたっていうのがオチなんですが(笑)

一同、脱力。

関P:ワープロで言ったら、山田さんで一番覚えているのは、「今日ワープロ壊れたので原稿送れません」って言い訳されたことですね。
大和屋:脚本家は一度は使いますね。
山田:親戚も何回も死にますしね(笑)
関P:私なんかはスタッフから「オジが亡くなりまして」って聞くと、一応「母方?父方?」って聞くようにしていますよ(笑)

一同笑い

関P:ユウレイの話でも、佐藤監督も私も怖い話は苦手なんですけど「ユウレイにに会いたい!」みたいに身内の話だといい話になりますので、ぎりぎり大丈夫なんですよね。本当に怖い話をされ始めると佐藤監督は怒って帰ってしまうくらい怖がりでした。
大和屋:そう聞くと少しかわいいですよね。

千葉:大和屋さんにとっての佐藤監督はどういう印象なんですか?
大和屋:やっぱり怖いですね。新人の頃に出会った監督ですから。
千葉:「怖い」なんですね。
大和屋:愛のムチですけどね。いや、愛はないか!(笑)でも鍛えてもらいましたね。
関P:佐藤監督は次の脚本打ち合わせの相手が大和屋さんのとき、少し覚悟して臨んでいたと思います。ただ最後まで付き合ってよい脚本になるまで粘りますからね。
大和屋:ありがたかったです。

山田:「どれみ」は脚本を大事にしてくれる作品だったと思いますよ。
関P:ありがとうございます。